ふくしおおさか2024年11月号
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ズームアップズームアップ笑顔咲かせる人ZOOM UP!ZOOM UP! このコラムは福祉の職場で働く人を紹介し、仕事や人の魅力を伝えます。 今回登場するのは、入職17年目の北山健一さん。やりがいや今後の抱負について聞きました。✿生まれ育った町のために学生時代はパソコンや情報処理を学び、その後、一般企業で働いていた北山さんは、ボランティアをしていた近所の人に誘われ、社協が運営している小規模作業所で嘱託職員として働きはじめました。知識や経験もなく飛び込んだ福祉の世界でしたが、作業所の保護者など周りの人が助けてくれることも多く、地元のためにできることがあればとの思いから職員になりました。✿住民をいちばんに現在は、老人クラブ連合会、遺族会などの団体業務とラクチンライフサポート事業などの生活援助事業、生活福祉資金の貸付など多くの業務を担当しています。社協職員として、住民のみなさんの思いに寄り添い、支えることを大切にしています。団体業務も、活動の担い手であるみなさんの意見を尊重し、できる方法を一緒に考え、すすめています。イベントが終了したときに、「よかったな」と、みなさんに声をかけてもらうこと、参加者のうれしそうな顔を見ることがやりがいです。✿話しかけられやすい人に地元の人には方言で話すなど、身近な存在に感じてもらい、頼ってもらえるような関わりを心がけています。悩むときには、友だちとオンラインゲームで話したり、小旅行に行ったりして、リフレッシュすることも。関わりが難しい方でも本人の気もちに向きあい、社協ができることを真摯に伝えていくことで、よりよい関係性をつくっています。✿支える人がつながっていく今、地域で活動している人もいずれ高齢になり、誰かの助けが必要になる時がきます。その時に、「助けて」と言えるような、支えあえるような地域をつくっていきたいです。若い人にも地域活動に参加してもらうことで、支えてくれる人が増え、地域がつながっていきます。これからも、河南町らしい地域づくりを住民のみなさんとともにすすめていきたいです。国を動かした反骨精神んっが 3 別べ珍ち加工業を営みながら、少年保護「子どもをあずかってほしい」。困り果て児童養護施設を頼ってきた母親の相談から、長時間保育をはじめると決意し、国を動かした社会福祉法人阪南福祉事業会(岸和田市)の永な野のを紹介するぞい。幼い時からまじめだった孝(大正3なったが、厚生省(現・厚生労働省)が、年2月6日生)は高校卒業後、紡績会社に就職。退職後、父とともに家業の団体公道授産会を開設。非行少年の自立のための職業訓練を行ったぞい。昭和23年には児童福祉施設岸和田学園に転換。戦後の混乱期には、子どもたちを守るため、食料確保と財政基盤の整備に奔走したんじゃ。この頃に社会の不条理を感じた孝は、強い反骨精神と正義感を養っていった。日本三大綿織物産地である泉州地方は古くから関西の繊維産業の孝たかし中心地で、多くの女性が働き手となり、工場を支えていたんじゃ。仕事は昼夜を問わず、子どもの居場所がなかった。孝は働く親の強い要望を受け、昭和42年9月に24時間開放する、八木保育所(現・八木こども園)を設立した(写真①設立当初の模型)。全国初の試みに定員は瞬く間にいっぱいに母親は夜間まで働くべきではないと認可をしなかった。何度も上京して厚生省と交渉する孝を後押ししたのは、メディアの報道から広がった世論の声だった。全国からの激励の声をうけ、厚生省と折衝してできた保育時間は午前6時半から午後8時半。日本ではじめて長時間保育を行う認可保育所が誕生したぞい!(写真②当時のチラシ)岸和田の小さな保育所が、現在の長時間保育の基礎を築いたんじゃ。孝が息子たちに伝えていたことは「何事も一生懸命やる」ということ。どんな難題であっても、困っている人のために必ずやりとげる。強い信じゃ。社会福祉法人河南町社会福祉協議会北きた山やま 健けん一いち福吉さん写真①写真①写真②念とと子福ど祉ものた心ちはを引守きり継続がけれて、今いもる、親ん支え、支えられる地域をvol.34

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