ふくしおおさか2023年11月号
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警察官と地域福祉中村三徳の実践(1)✿自然に福祉の道へ同居の祖母が大好きで、小さい頃から高齢者が身近だったせいか、自然に福祉の道へ進みました。一般企業、知的障がい者施設の勤務を経て、育児が落ち着いたころ、ホームヘルパーとして社協に就職として働きはじめました。✿笑顔を力に現在は、CSWや地区福祉委員会、日常生活自立支援事業を主に担当しています。地区福祉委員のみなさんが、和気あいあいと笑顔で活動されているのをみると、私まで笑顔になります。地域のためにがんばる姿に力をもらっています。✿声かけからはじまる面談の時はなるべく明るく接することを心がけています。できることを認めながら本人に寄り添い、今後のことを一緒に考えます。また、地域の人から話しかけられやすい人になれるよう、自分から積極的に声をかけるようにしています。気軽に声をかけあえる関ズームアップズームアップ笑顔咲かせる人ZOOM UP!ZOOM UP!。6年前から職員係は、よりよい地域づくりにもつながると感じています。✿誰からも頼られる人にひきこもり、不登校など解決が難しい相談も多く、CSWとして悩むこともあります。そんな時は頼れる職場の先輩にアドバイスをもらいます。また、大好きな子どもたちとおいしいものを食べにでかけることもリフレッシュに。福祉以外の知識も吸収し、経験を積み重ねることで、誰からも頼られる人になりたいです。✿笑顔の輪をひろげたいひきこもりの方など誰もが気軽に集える居場所を、地域の人や関係機関、みんなで協力してつくれたらと思っています。ひとりでも多くの方が地域活動に参加し、楽しさを感じてほしい。笑顔の輪がどんどんひろがっていくような地域をつくりたいです。村む三み徳のり(1873年~つら か444しら ず4ん 児童虐待や認知症の対応など、さまざまな場面で福祉と連携を図り、市民の生活を守る警察。今号と次号にわたりセツルメント活動に取り組んだ警察官、中な1964年)の活動実践を振り返りながら福祉と警察のつながりを見ていくぞい。三徳は、警察官として病人や貧しい家族を訪問する傍ら、公衆衛生向上のためにコレラ隔離所の開設、薬の配布など、地域のために尽力し、人々は三徳のそうした姿勢と行動力に感謝したんじゃ。明治44(1911)年、三徳は釜ヶ村む敏と男おとともに、家族で入居できる崎(現在の西成区北部地域)を視察する内務省調査団の案内役を務めることに。当時の釜ヶ崎は、低湿地帯のうえ無職の野宿生活者が多かったぞい。その数日後、釜ヶ崎で人々を更生への道に導くような社会事業の立ちあげを警察部長から命じられたんじゃ。すると持ち前の行動力で、翌年には共同宿泊所と無料職業紹介所を併設した“大阪自じ彊き館か”を創設したぞい。大阪自彊館の運営が軌道に乗りはじめた大正4(1915)年、難波警察署長として貧困層の生活状況実地調査を実施。その報告書では、「貧困層の住民を救済するには、①食事の質をあげる、②清潔な衣服を身に着けて住みよい住居に住むことで不摂生をなくして伝染病を防ぐ、③低利の質屋を設置して物品を貸し付け、労働資金を生み出すべきだ」と、衣食住と労働のための資金調達がそろう施設の必要性を説いたんじゃ。の八そ尾の市後)、に三転徳出は。中そ河こ内で郡出長会(っ現た吉よ在し“向上館”、保育所、泉い尾お公益質屋など、事業をピョ~ンと飛躍的に展開してゆくぞい。ょうつづくこのコラムは福祉の職場で働く人を紹介し、仕事や人の魅力を伝えます。今回登場するのは、入職6年目の堀 瞳さん。やりがいや今後の抱負について聞きました。No.18さん現在の社会福祉法人 大阪自彊館第695号 この広報紙の作成には共同募金配分金を活用させていただいています33ケロ福社会福祉法人 豊能町社会福祉協議会コミュニティソーシャルワーカー堀ほり 瞳ひとみ笑顔ひろがる地域をvol.30ふくしを巡る

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