ふくしおおさか2023年7月号
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多様な主体で社会的包摂を手話を守った校長先生サービスを開発したパナソニックコネクト株式会社は福祉関係者に次のようなメッセージを送っています。「地域共生社会の実現をめざす日本社会では、子ども支援においても、地域の中で『人』が直接関わりながら、子どもを育てていく意識が重要だと感じています。弊社は子どもたちの支援として最新のテクノロジーやサービスで『人』と『人』をつなぎながら創業者の言葉にもある『人を育てる』ソリューションを提供できればと考えています。地域資源の『人』という存在はとても有用であり、その『人』としてみなさまにはこのYOSSクラウドサービスを支えていただきたいと思います」また、山野則子さんは、今後めざすべき支援の方向性について次のように語ります。「これまでの実践の効果を踏まえ、今後は、地域、行政、企業、大学がそれぞれできる強みを生かし、さらに連携強化することで、包括的支援を可能にするコンソーシアム(共同体)を設立していきたいです」すべての子どもたちを支援できる取り組みがさらに広がっていくことが期待されます。手話は、聞こえない人や聞こえにくい人にとって自分の気もちや考えを他者に伝える大切な言語じゃ。しかし、“適性教育”を提唱したんじゃ。手話の使用を控える時代があったことは知っているかのう?大正時代後期、ろう教育では口話法(相手の話す唇の形や動きを見て内容を理解することや発声訓練を行う教育方法)を推進。一方、口大阪市立聾学校(現大阪府立中央聴覚支援学校)の校長だった高た橋は潔(明治23年~昭和33年)は、名古屋で口話法の授業を見た際に「手話ならもっとていねいに教えられるのに」と思う一方、口話法を学べる生徒には口話法で教えようと思ったんじゃ。しきよしそこで高橋は、手話に適している生徒には手話で、口話に適しているなら口話でと、一人ひとりに適した教育をかんガ・エ・ル・しかし、口話法を推進する動きは加速していったぞい。昭和8年に行われた全国聾ろ唖あ学校校長会では、当時の文相により口話教育推進の訓示が出されたんじゃ。それに一人異を唱えたのが高橋だったぞい。「手話は彼らの言語だ。手話を取りあげてはならない」。40分にも及ぶ演説は口話教育推進派の心に響き、この演説をきっかけに少しずつ手話の大切さが広まっていったんじゃ。聞こえない障がいは目に見えず、社会では理解されにくい。高橋は土曜学校や手話劇、時には卒業生の結婚式を学校で行うなど、子どもたちの居場所をつくり、生徒に寄り添いつづけたぞい。こうした高橋の手話と教育に対する情熱が今につながっているんじゃ。高橋潔の生涯は漫画や映画、書籍にもなっています。ご興味のある方は探してみてください。      かう4No.1770%改善84%改善大阪市立聾学校(現大阪府立中央聴覚支援学校)64%改善50%改善特集ケロ福多話くのの学聾ろ習う学を校妨でげ禁る止もさのれとたしんてじ、手ゃ話。が高橋潔校長ふくしを巡る

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