ふくしおおさか2023年4月号
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つ 9※ 聖徳会HP「これまでエ4ル明4と治34(、民次19郎0に1転)機年がのや春っ、て大き阪たにんカ4高齢者福祉の原点である養老事業。高齢社会の日本において、なくてはならないサービスなんじゃ。今回は、社会福祉法人し聖ょう徳とく会かいの創設者であり、養老事業の祖と呼ばれる岩いわ田た民たみ次じ郎ろうを紹介するぞい。明治2(1869)年、民次郎は岐阜県で生まれ、愛知県で育ったんじゃ歳で親元を離れ、仕事と場所を転々としたあと、北海道に渡り、雑貨商をはじめたぞい。しかし、もらい火による店の焼失や、交易船の遭難により、二度も全財産を失ったんじゃ。じゃ。それは身寄りのないある老人との出会い。細々と暮らす老人の身の上話が自分の経験と重なり、貧しく孤独な人々を救済したいという思いが民次郎に芽生えたんじゃ。明治35(1902)年、民次郎は妻のきぬと2人で大阪養老院(現大阪老人。3ホーム)を創設人だった入居者は、どんどん増えていったぞい。明治39(1906)年の東北地方の大飢饉では、飢えに苦しんだ老人や少年117人を救ったんじゃ。また、この年から明治41(1908)年にかけ、機関誌『養老新報』を発行して、大阪養老院の状況や入所者の暮らしぶりなどを。17伝えることで、養老事業の意義を広く訴えたんじゃ。その後も、関東大震災による生活困窮者の受け入れなど、人々のために歩みつづけた民次郎。昭和27(1952)年には、二代目克か夫おが社会福祉法人に改組するとともに同年に大阪府下初の有料老人ホームを開設。その後、昭和61(1986)年には、これも府下初となる認知症専用棟を整備したんじゃ。民次郎の精神は利用者やその家族、地域住民からの厚い信頼にこたえる地域の中核施設として、今もなお進化しつづけているぞい。とこれから」で詳しく紹介されています。No.16第692号 この広報紙の作成には共同募金配分金を活用させていただいていますケロ福岩田民次郎之像(大阪老人ホーム玄関前)ふくしを巡る不屈の精神で切り拓く

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