ふくしおおさか2023年新春号
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弱き者の友たれズームアップズームアップ笑顔咲かせる人ZOOM UP!ZOOM UP!成長と変化にやりがいを感じます。大口の注文が入ったときは、利用者と職員一丸となって働きます。同じ目標に向かって頑張り、納品できた時のよろこびをみんなで共有できる瞬間が楽しいです。✿失敗を恐れずチャレンジ入職後、苦労したのはお菓子作り。知識も経験もない中で、先輩職員や利用者に教わりながら、必死で技術を習得しました。今でも、取引先に求められるクオリティの高いお菓子の製造技術を学び、利用者にわかりやすく伝える努力をしています。仕事をするうえで心がけていることは、まずはチャレンジすること。利用者にも、お菓子作りだけでなく生活全般で失敗を恐れず、自分のやりたいことに挑戦できるようサポートしています。✿目標達成をめざすより高い工賃を達成するためには、一人ひとりの力量をあげることが重要です。今後は、コロナ禍で中止になっていた旅行にみんなで行き、リフレッシュしながら、目標達成に向けて、利用者とともに頑張っていきたいです。昨年12月に行われた民生委員・児童委員の一斉改選。今回は、民生委員制度の前身である大阪の方面委員制度の生みの親、小お河が滋し次じ郎ろを紹介するぞい。滋次郎の生まれた金子家は医療の家系。人を大切にする教えのもとで生まれ育ったんじゃ。「僕の運命は弱い者に寄り添う人生だった」と後年振りカ・エ・ル・ように、“弱き者の友たれ”という精神を若い頃からもっていたぞい。滋次郎も医学を学ぼうと慶應義塾医学所に入学。その後、東京大学法わげうんわあし不ふ仕合せな人達の味方となって出来小河滋次郎の功績を讃える銅像が上田城跡公園(長野県上田市)に建立されています。(上田市・小河滋次郎博士顕彰会 学部でのドイツ書の翻訳をきっかけに監獄学の道へ。内務省へ入職し、監獄制度の改良に大きな役割を果たしたんじゃ。大正2(1913)年、滋次郎が内務省監獄課長の時に監獄局長だった方から「救済事業指導嘱託」として大阪に招かれ、「救済事業研究会」を創設。大正6(1917)年に、米騒動が全国各地に広がり、大阪でも発生。市民の道徳的な生活を確保するため、滋次郎は、大阪府知事の林市いち蔵ぞうから方面制度の基礎となる規程作成を依頼されたんじゃ。その中で、小学校通学区を担当区域とし、地域の世話好きの人を任命するなど、大阪の方面委員制度確立へ尽力。一人ひとりの困窮した状況を調べ、その対策を立てる「社会測量」を重視したぞい。方面制度の趣意書には、「我々委員は社会のため人道のため弱き人やるだけ犬けば馬の労を惜しまぬ覚悟」と記載されているんじゃ。“弱き者の友たれ“という精神を貫いたことが、今の民生委員制度につながっているのう。はやし協力)✿知らない世界への興味高校生の時、祖母を介護する介護職員を見て福祉に関心をもち、大学卒業後は介護老人保健施設で働きました。就職後、知人にすすめられたボランティアで障がい福祉に出会いました。重度障がいのある方への介助などこれまで知らなかった世界に興味をもち、お菓子の製造・販売で、高い工賃達成をめざす就労継続支援B型事業所のハイワークひびきに転職しました。✿〝できた!!〟を共有現在は主任として、利用者支援全般とお菓子の品質管理、取引先の獲得や調整を行っています。利用者が初めてお給料をもらいよろこんでいる姿や仕事でできることが増えていくことで自信をつけ、仕事以外でも自分の思いを自ら伝えることができる姿など、利用者の このコラムは福祉の職場で働く人を紹介し、仕事や人の魅力を伝えます。 今回登場するのは、入職22年目の稲川さん。 やりがいや今後の抱負について聞きました。第691号 この広報紙の作成には共同募金配分金を活用させていただいていますケロ福55No.15社会福祉法人ひびき福祉会ハイワークひびき主任 稲いながわ川 崇たかし史さん利用者と目標に向かって歩むvol.27ふくしを巡る

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