ふくしおおさか2022年1月号
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54444ズームアップ―未知の世界に興味小さい頃から祖父母や曾祖母と暮らしてきて、昔の話など自分の知らない世界を教えてくれる高齢者と話すことが大好きでした。母も介護職だったため、自然と介護系の専門学校に進学。高齢者施設に就職しました。―知識と現場にギャップ入職してすぐは、介助中に、利用者さんから「痛い」といわれるなど、学校で習ったことだけではうまくいかず、興奮時の対応など、戸惑うこともありました。利用者さんの今の状況を把握し、最適な介助や対応を行うこと、また、目上の人だという尊敬の気もちをもって接することを大切にしてきました。職場の先輩や利用者さんに直接聞くことで、自分の介助技術も磨いています。利用者さんの「ありがとう」の言葉に、やりがいを感じています。―家族のように関わる施設では、自分の祖父祖母だったらと考え、常に利用者さんや家族の立場にたち、笑顔で接することを心がけています。コロナ禍で面会制限があるときも、できる範囲で家族と話ができるように、電話等で個別の対応も行いました。―仕事がどんどん楽しくなる今年度からはサブリーダーとして、日々奮闘しています。最近は、大好きなぶらり旅もなかなか行けませんが、年数を重ねるにつれて、仕事の楽しさを強く感じています。積極的にコミュニケーションをとることで、寝たきりの方でも変化を感じることができます。人生の最後の最期に自分が寄り添い、支援できることに、ありがたい気もちでいっぱいです。―よりよい施設をめざす今後は、職員のお手本になれるよう、自信をもって行えることを増やしながら、職員同士が意見を出しやすく、利用者さんにとっても過ごしやすいよりよい環境を作っていきたいです。術も文化もあったものではない」と食の大切さを痛感。いラーメンを食べるために並ぶ人々を目にし、日本人は麺好きであること、そしてこの長い行列に大きな需要が隠されていることを感じ、「お湯さえあれば家庭ですぐに食べられるラーメン」を作ろうと決意。自宅裏に小屋を建て、1日平均4時間の睡眠で丸1年間、たったひとりで研究に没頭。試行錯誤の末、昭和トラーメン「チキンラーメン」を発明したよ。お湯を注ぐとたった2分(発売当初)で食べられることから「チキンラーメン」は、魔法のラーメンと呼ばれ、またたく間に大ヒット商品となったんだ。界初のカップ麺「カップヌードル」を発明したんだ。安藤百福が生涯を通じてもち安あん藤どう百もも福ふくは、「食がなインスタントラーメンは、大阪の池田市で発明された!誕生のきっかけは終戦後のこと。食糧難となった日本の悲惨な状況を目の当たりにした日清食品の創業者であるければ、衣も住も、芸寒空のもと、闇市の屋台で1杯の温かさらに、昭和46(1971)年には、世続けたのは、「クリエイティブな発想」と「最後まであきらめない執念」なんだって。インスタントラーメンは、世界中で年間1,000億食以上も食べられているんだ。近年は、地震や豪雨など大規模災害が頻発しているよね。日清食品は国を問わず、大規模災害発生時に、被災地へインスタントラーメンを提供しているよ。また、カップ麺なら製造から6カ月、袋麺なら8カ月と賞味期限が長く保存性が高いことから、インスタントラーメンは災害備蓄品に適しているんだって。食料の備蓄をするうえでは、加工品などを、日常で消費しながら定期的に買い足して、常に一定量の備えをしておくローリングストックも注目されているよ。日頃からの備えが大切で、一杯のカップ麺やふくろう(袋)麺が命を守ることにつながるかもしれないね。さん社会福祉法人 大泉会 特別養護老人ホーム 玉井泉陽園中なか渡わた瀬せ 真まさ申のぶvol.22No.11 本連載では、福祉の職場でイキイキと働く人を紹介し、仕事や人の魅力を伝えます。 今回登場するのは、入職8年目の中渡瀬さん。 高齢者施設で働くきっかけややりがいについて聞きました。・・・・・・ふくしを巡るふくしを巡る給湯機能付きのキッチンカーを避難所に派遣し、被災者に温かいラーメンを提供33(1958)年に世界初のインスタン福吉「日清食品×災害支援」支援できることは、ありがたいこと

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