ふくしおおさか2021年夏号
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▼4コロナウイルス感染症の影響「社会福祉施設等の応援職員ました(令和2年8月27日)。リスクの低い施設(エリア)で行います。府社協は大阪府との間で、府内の社会福祉施設等で新型により、当該施設に勤務する職員が不足する場合に備え、派遣に関する協定」を締結し現在、133法人、529人が登録(府社協受付分)されていますが、まだまだ予断を許さない状況が続いており、引き続き、応援協力施設を広く募集しています。派遣は、感染の支援が原則で、派遣調整は応援協力施設の同意のもとにオール大阪での取り組みにご協力をお願いします。ているんだって。くに歌詠みの才能豊かに育った池上。その才能から、京都の近衛家に引き取られた。そこで当時の女性としては、最高の学問と教養を身につけたんだ。けれど、夫の事業が失敗。しかし落ち込まず、易で生計を立てた。易とは現在の占いや相談所のようなもの。変化を予知する感知能力もあったと言われている。つまり「人や物事への観察眼」がとても鋭かったんだね。その判断は的確で商売はすぐ盛況になるほど。えた人と接するなかで、維新による社会の混乱や貧困、家族の離散等が非行や犯罪を生んでいることを実感した彼女は、不幸な境遇から過ちをおかした子ど「ほりかわの濁りし水を浚さらへられ、鮒ふなやどぜうのいどころぞなき」これは青少年更生事業の母と称された池上雪枝が、なんと4歳の時に詠んだものだ。人の手で川の水が浚われ、魚が消えたようすを、生き物への哀惜の気もちとともに表現し1826年に大阪で生まれ、賢く、と、5男2女をもうけた池上は易学がすごく得意で、天候の身の上相談を聞き、多くの困難を抱大阪市北区松ヶ枝町の民家の一角にひっそりと佇む池上雪枝感化院跡の碑。お墓も近くの栗東寺にある。もを守り、更生させることを決意したんだ。1883年、自宅に日本で初めての感化院(今の児童自立支援施設)である「池上感化院」を設立。すぐ手狭になり翌年には移転、授産事業もはじめたよ。授産事業では石鹸や洋傘の柄を作る作業が行われ、当時は新しい分野の取り組みだったんだ。感化院では非行少年を保護するほか、教養や、当時先進的であった英語の教育が熱心に行われたよ。池上は易学で子どもの性格、適性を判断し、一人ひとりに適した教育や技術を伝えたんだって。療育するだけでなく、自分で生きていくためのホーホー(方法)を身につけてほしかったんだね。その後、経営難のため1888年頃に池上感化院は閉鎖。1891年に65歳で生涯を終えたんだ。感化院があった期間は短かったけれど、この革新的な取り組みは、のちの児童福祉に大きな影響を与えたんだって。新型コロナウイルス感染症に係る社会福祉施設等への応援職員派遣スキームについて応援職員派遣に備えた事前準備応援職員派遣に備えた事前準備応援職員派遣の流れ応援職員派遣の流れ①「応援協力施設」の募集②「応援協力施設」への登録④派遣要請(派遣条件の提示)⑦応援職員の派遣⑥派遣決定③応援要請(希望条件の提示)⑤派遣同意・・・・・・ふくしを巡るふくしを巡るNo.9※所管行政機関とは、当該社会福祉施設等を所管する政令市、中核市等を指します福吉「人の未来を見つめる才女」応募様式等は府社協 HPまで府内社会福祉法人等応援協力施設応援要請施設大阪府社会福祉協議会大阪府社会福祉協議会所管行政機関(※)27歳で結婚し大阪府大阪府

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