ふくしおおさか1月号
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侠客、正義を貫くく8河かわら浦う和かず哉や事務局長は、「全国各地で大おおし西に豊とよ美み会河内長野市社会福祉施設連絡会(以下、連絡会)では、熊本地震のボランティアワゴンや平成29年台風21号の災害ボランティア活動など、災害時の地域貢献活動に積極的に取り組んでいます。連絡会と河内長野市は平成29年5月、災害時等における避難行動要支援者を受け入れるための福祉避難所の設置・運営、緊急保育の確保等に関して協定を締結。併せて、連絡会加入施設と市で個別に協定を締結しています。連絡会事務局の河内長野市社協 災害が多発し、多くの社会福祉施設や要支援者が被災されている。このため社協は、早期に連絡会と行政が連携して平時の備えや仕組みを充実できるよう、調整機能を果たさなければならない」と話します。今年度は、福祉避難所に関する研修会を実施。研修会開催に至るまでに、社会福祉施設における災害用備蓄物資等の調査を実施し、各施設の現状把握を行いました。連絡会の長は、「災害時において、避難行動要支援者をいかに助け出すか、また、福祉避難所をどう運営していくか。絵に描いた餅にならないよう、実効性のあるものにしていきたい」と意気込みました。さらに、府社協・大阪介護老人保健施設協会と府が協定を結んだ新型コロナウイルス感染症に係る社会福祉施設等への応援職員派遣体制の構築にも触れ、「社会福祉法人が連携することが重要であり、引き続き積極的に協力してほしい」と述べました。情報交換会では、改めて福祉施設間での情報共有の必要性や種別の強みを生かした支援のあり方、マニュアルの整備、備蓄品の対応についての意見がありました。今後も連絡会では、平時をはじめ、災害時においても地域住民が安心して生活できるように取り組んでいきます。ざ者に近いかな。大阪には、小林佐兵衛という、生涯をもって、侠客という生きざまを体現した人物がいたんだよ。の明石家という質屋の長男として育ったんだ。9歳の時に父が家出し、生活は困窮。母と妹を食べさせるために、侠客として生きることを決心したんだ。佐兵衛は、賭場でインチキを用い金品を巻きあげる一方で、米価を引き上げる仲ない買の不正を暴いて、庶民の暮らしを助けることもあったという。それもこれも家族を思ってのことだった。こうした佐兵衛の人を思う気もちは、身内だけにとどまらず、1873年には、大阪府知事から任命を受け、大阪消防の請負人になり、火事場で焼けだされた人々を助けた。また、自宅に「救い小屋」を作り、子どもや高齢者を世話したんだって。知っているかな?なかなか使わない言葉だけど、「強きをくじき、弱きを助けることを信条とした任にう侠の徒、賭と博ば、喧嘩渡世などをこととしているおとこだて」という意味なんだ。昔でいうやく佐兵衛は、1830年に生まれ、堂島ょうか侠きく客という言葉をんきょかが1885年には、府知事の認可をうけ、「小林授産場」を設立。子どもには読み書きやそろばんを教え、仕事のない人にマッチの製造や町の清掃等の仕事をあたえた。これは高齢者や子どもが暮らせる老人ホーム、児童養護施設、児童自立支援施設や少年院の役割を担ったんだ。しかし、仕事で得られる資金だけでは足りず、運営費として約20万円(今でいう5億円相当)の私費を投じたんだけど、経営が困難になり、弘済会に事業は引き継がれ、現大阪市立弘済院のもととなったんだよ。全ての行いが正しかったわけではないけれど、弱い立場の人々に手を差し伸べ続けた佐兵衛。時には、フクロウ(袋)だたきにあったこともあるかもしれないけれど、「侠客」として自らの正義を貫いた人物なんだ。派遣スキームはコチラからご覧いただけます。福吉侠気に富む生き様は、司馬遼太郎著「俄 浪華 遊侠伝」主人公のモデルになっているよ。写真出所:船橋半三郎「浪華老侠 小林佐兵衛伝」大西豊美会長・・・・・・ふくしを巡るふくしを巡る情報交換の様子No.7目指してモウ進モウ進災害時災害時にもにも強強いい地域地域をを目指して~施設連絡会のの可能性~~施設連絡会可能性~!!

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