ふくしおおさか2021年4月号
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「わっしょい!」が合言葉私の歴史物語「好きなことをやればいい」「空ってこんなに青かったんや」「雲はこんな形してたんや」真っ暗なトンネルを抜け、空を見あげた時にあふれ出た言葉です。アルコール依存症から脱却して1年余り。ディレイラブリューワークスで働く篠田直之さんした。篠田さんたちメンバーは、昨年7月から堺市の更地を耕し、自分たちでビールの原料、ホップを作る作戦を実行中です。「みんなで汗をかき、畑を耕す作業は楽しくて仕方がない」と充実感に満ちた表情で篠田さんは話します。仲間との合言葉は、わっしょい。疲れた時はわっしょい!気合を入れたい時もわっしょい!カラオケに行ってもわっしょい!この言葉にみなが奮い立ちます。、54歳の人生に迫りま2人姉弟の弟で、幼少期は控えめな性格だったという篠田さん。高校卒業後はアパレル会社へ入社します。飛び込み営業もいとわず顧客を開拓し、会社では優秀な成績を収めました。しかし、接待ゴルフで無理がたたり両ひざを負傷。半年間の入院生活を余儀なくされ、やむなく退社することに歳で建設会社に転職し、新天地でも営業マンとしての手腕を発揮します。しかし、飲酒量は徐々に増え、転職を重ねていきます。 え、近隣住民にまで迷惑をかけるようになりました。妻は精神的に追い込まれ、5年ほどで別居。単身41歳で西成へと移り住み、翌年の平成25年5月には、アルコール依存症と診断されます。「断酒会や区役所の酒害教室にも通ったが、やめることはできなかった」と振り返る篠田さん。平成26年からシクロで就労支援や訪問看護サービスを利用し、令和元年12月からディレイラブリューワークスで働くようになりました。。28た。就労支援のスタッフやヘルパーさんは『飲むな』とは言わず、とにかく気にかけ、話を聞いてくれた」と声をつまらせます。病や肝臓の数値が悪化し、「このままでは死に向かっていくだけ」と医師に宣告されたことでした。その日はお酒を飲む気になれず、翌日も断酒。周りに励まされながら、1日、1日と飲まない日が続きました。育ててほしい」との話が舞い込みます。篠田さんは「やります!」と一つ返事。愛称「ののちゃん」と話しかけながら愛情いっぱいに育てたことで、立派なホップが育ちました。にやればいい」と背中を押してもらっている篠田さん。「この頃は、まだお酒を飲み歩いてい断酒のきっかけは、昨年の2月。糖尿5月になると、「ベランダでホップを日ごろ社長から「好きなことを自由クラフトビールの販売も自ら「営業させてほしい」と手をあげました。「篠田さんの活路でいいように動いてくれたやめてるからビールの味はわからんけどな」と屈託のない笑顔を見せます。篠田さんは「お酒をやめたことで、昼だと何だってできる。自分たちが作ったビールをどんどん広めて、西成の皆さんに恩返ししていきたい」と胸をはって誓います。取材後、篠田さんが数枚の写真を見せてくれた。愛くるしい幼少期、ヤンチャをしていた高校時代、第一線で働いていた頃の篠田さんが収められている。過去の自分をさらけ出してくれるのは、きっと今の自分に誇りをもてているから。最後に、笑顔が素敵なお母さまの写真を見せてくれた。お酒を断ったことで、母や姉を思う気もちが生まれ、家族との関係が再構築されたのだという。経済的な自立はもちろん、社会や人間関係の再構築にこそ、就労の価値があると感じた。取材を終えて3ビール特有の苦みや香りをもたらすホップ45歳で生活保護の受給に至りました。32歳で結婚。お酒の量はますます増堺市の更地で畑を耕すみなさん(中央が篠田直之さん)ら間えにえ堂よ々っとて歩社け長るがよ任うせにてなくっれたて。。健お康酒アルコール依存のアルコール依存の闇闇からから光光へへ

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